あらきクリニック 〜院長のつぶやき〜
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愛媛県松山市で泌尿器科あらきクリニックを運営しています。

これからよろしくお願いいたします。
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Re:やっと気持ちが・・・
  └ ulala at 2009/06/30 5:41:52

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2009/10/27

10月18日(日)には、菊間祭の「お供馬の行事」を家族で見に行った。

会場でいただいたチラシから
以下抜粋させていただきます。

『お供馬の行事とは、6歳頃から15歳までの少年が着飾った馬に騎乗し、
賀茂神社境内参道馬場 約300mを一気に駆け抜けるうま
勇壮華麗な走り込み行事です。京都葵祭の競馬会(くらべうまえ)に
由来するといわれ、600年を超える歴史があります。
昭和40年、愛媛県に無形民俗文化財の指定を受けました。』鉛筆

〜走り込み会場での諸注意〜
『公共のルール・マナーを守ってご観覧ください。

菊間祭は、人だけでなく馬も一緒に参加するお祭りです。

馬の暴走など思わぬ事態が発生する可能性があります。
馬への不用意な接近、馬の近くでの大声、フラッシュなどカメラ
危険な行為はしないでください。

この日のために、馬主は飼育調教してきました。
一度馬に恐怖心を与えると二度とお供馬には使用できません。
場内放送、係員の指示を厳守してください。』



日曜日の朝、7時30分、松山市内の自宅を出発。車
8時15分には菊間町、賀茂神社に到着した。
まだ朝早かったため、人出は比較的少なかった。
でももう、走り込みは始まっていた。

会場には、地元の方による、祭の由来、注意事項など
味わいのある方言丸出しのアナウンスが響いていた。

菊間祭・走り込み行事を初めて見たが、素晴らしかった。

神社参道に設けられた、ほぼ一直線300mの馬場をダッシュ
騎馬装束(?)の少年が着飾った馬に乗って疾走するのだが
最後の約100mが登り坂になっていて、かなりのスピードで
坂に臨まなければ、坂の上の境内まで到着できない。
鳥居から坂下までの直線200mで馬に鞭を入れ、声をかけ、
スピードを上げ、
人馬一体となって、勢いをつけて坂に挑まなければ
馬は坂の手前、もしくは途中で失速して引き返してしまう。

自分は、幸いなことに坂の手前で観覧することができた。


坂に挑む一瞬の、少年の顔の何と凛として勇ましいことか。
土煙を上げて疾走する馬に跨っているのは小中学生である。


何頭もの走り込みを、間近で観覧しているうち、気がつくと
涙腺がゆるんできた。自分は何に、感動しているのだろう、と思った。
目前を疾走する馬と少年の雄々しさ、尊さもあるだろう。
「この少年ほど、真剣に集中して、何かに立ち向かったことが、
自分には、はたしてあるだろうか・・・」

そして、馬場の内外から、馬と子供たちに声援を送る
地域の大人たちの温かさに気付いた。
会場に響くアナウンスも、マイク
「今から走る馬は、今年初めて走り込みをする馬です。」とか、
「今の乗り手は、渡部●太。7歳でした。●太、いまの走りは
良かったのう。」
「次の乗り手は、越智○男、今年が最後の走り込みです。」
なんてコメントを連発している。

そして大人たちに隠れて、お気に入りの少年を
写メールで撮影する少女たちの微笑ましさ。ハート

この雰囲気は現場に来てこそ体感できるものだ。

馬に乗る子供たちの、練習はさぞ大変であろう。
そして、それを支える大人たちも、飼育調教など
今のご時世、いろいろな苦労があることだろう。

それら地域の人々の様々な愛情、思いが、きらきら
“お供馬の疾走”という結晶となって
秋空の下で、輝いている。

それに、どっぷり浸っていることに感動しているのかもしれない。
そんなふうに思った。

土煙、地響き、声援、アナウンス、屋台のイカ焼きの匂い e.t.cを
一体として感じてこそ、
「お供馬の走り込み」を観覧したということになるのだ。


やはり本当に見たいものは、現場に行って見ないと、マラソン
いけないなと痛感した。



posted at 2009/10/27 21:52:19
lastupdate at 2009/10/27 21:52:19
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2009/10/14

10月11日、家族で別子マイントピアの奥、
東平(とうなる)地区に出かけた。車

東平はかつて(大正5年〜昭和5年)住友別子銅山の採鉱本部が
置かれていた地区。当時は社宅、病院、保育園、劇場、百貨店などを備え、多くの人々が生活していた標高750mにある鉱山都市であった。
昭和43年の休止、昭和48年の閉山によって、
鉱山生活者は去って行った。それ以降、新居浜市、住友金属、住友林業などによって整備されてきたらしい。

最近は、“東洋のマチュピチュ”といわれて「産業遺産」として
注目されている。

秋晴れの朝、家族で松山を出発。
10時前には新居浜IC通過、別子を目指す。

別子から東平地区に入る道路の狭いのにビックリ。!
絶壁沿いの1車線の登山道は対向車と出会えば、どちらかがバックして
道幅が広い場所で離合するしかない状況。
これがくねくねと約3km続くのだ。
エスティマ、エルグラントなど大型車で進むと大変なことになりそう。
とにかく、そんな道を登って東平に到着した。

山頂に近い森林のなかに駐車場、東平歴史資料館が現れた。キャンプ
車を降りて散策を開始した。
天気が良いため、新居浜の市街地、瀬戸内海が見える。霧

西の青空には、まだ白い月が浮かんでいた。月1

歴史資料館の周囲に、かつての鉱山都市の遺構が点在していた。

森林の濃い緑のなかに、巨大な石造りやレンガ造りの鉱山施設の遺構が、
そびえ立つ光景は、想像以上の衝撃を心に与えた。

病院、保育所の跡は、門柱と思われる人の背丈ほどのコンクリートの柱や
楕円形の池の痕跡を残すだけであった。

しかし、地面をよく見ると、苔や落ち葉に交じって割れた白い陶器や、
ガラス片が光っている。
小さな破片が、かつてここに窓ガラスが、茶碗があったことを教えてくれる。

家内は、「マチュピチュというより天空の城ラピュタのようだ。」と言った。本物のマチュピチュは見たことないが、自分も、同感だった。

そして、自分が生まれたころ閉山した町に、家族、わが子といっしょにと訪れたという状況が、感慨深かった。赤ちゃん

東平は、“滅び”と“再生”というイメージを同時に感じさせてくれる場所であった。ハーブ


posted at 2009/10/14 20:44:06
lastupdate at 2009/10/14 20:44:06
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2009/10/05

10月3日の夜は、幸い自宅からも満月をみることができた。お月見

6歳の長男が、どこで知ったのか
「お月見には団子が、つきものやろー。」と言ってきかないので
夕食後、長男とスーパーフジに団子を買いに行った。歩く人

“中秋の名月・お月見団子フェアー”開催中で、
様々なお団子が、陳列されていた。

「丸いお団子を、ピラミッド状に積み上げて、
お供えしてから、食べるようにしたら?」と、聞いてみたが
彼は、“団子とは串に刺さっているもの”という概念が強いようで、だんご

「いや、こっちがいい。月を見ながら、これ(串に刺さった団子)を食べたいんよ。」と
言うので、串に刺さった団子(こしあん、粒あん、みたらしの3種類)を買って帰った。

2階の東向きの廊下の、月が見える窓に椅子を持ち出して
「これが日本の行事やろー。(風物詩のこと)」と言いつつ
一人、麦茶を飲みつつ、お団子を食べていた。

ちなみに、こしあん、粒あん、みたらしの3種類の中で、どのお団子が、
おいしかったか、きいてみると、
「粒あんが、一番甘くておいしい。」とのことでした。うっしっしネコ

posted at 2009/10/05 19:38:23
lastupdate at 2009/10/05 19:38:23
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